Liou (王宮夜想曲)


「貴方からお訊きしていただけないでしょうか、姫が何を悩んでおられるのかを。そして励ましてさしあげていただきたい。貴方にならば、姫もお心の内を明かしてくださるのではないかと思うのです」

 ――皮肉、だな。いや、滑稽と言うべきか?

 表面上は人好きのする宮廷楽士の仮面をかぶったまま、腹の中では喉を鳴らして嗤ってやりたい気分だった。
 それは的外れな相手に愚にもつかない願いを求めてきた彼に対してだったのか、それとも彼以上に愚にもつかない自分自身に対してだったのか。
 折り入って頼みがあると王宮に仕える典医に呼び出されたのは、建国祭でカイン王子暗殺未遂事件が起こってからしばらくしてのことだった。




「それは建国祭であのようなことがあったばかりですし……。賊が捕らえられていない今の状況では、またいつなんどきカイン様が狙われるやもしれません。姫が不安を抱えておられるのは、あるいは当然のことかと思われますが」

 もっともらしいことを口にしている自分が白々しかった。無論、目の前の男にそれを悟らせるほど間抜けなつもりもなかったが。

「ええ、それはその通りなのですが……」
「何か、他に気になることでも?」

 王子暗殺を防いだことによって、当然といえば当然だが、王宮内での僕に対する信頼と評価は一段と上がったらしい。そうでなければ彼もわざわざ自分よりも年若い、しかも一介の楽士風情に相談事を持ち掛けようなどとは思うまい。
 この典医は元々の素性がはっきりせず、今は亡き国王の一存で王宮に召抱えられたと聞く。それ以来、王女と王子の教育係として長年彼らを傍近くで見守り続けてきた彼だからこそ、彼女の微妙な、しかし確かな異変を感じ取ることができたのだろう。姫は建国祭以降、周囲に動揺を与えまいとしてか表面上は普段通りの態度で臨んでいるから、そしてそれが意外にも見事に功を奏しているから、その不安定さに気づいている者はそう多くはないはずだ。
 彼が愚鈍でないことは認める。しかし、やはり愚かだ。
 姫を真摯に案じる思いは麗しい。だが哀しいかな、これは明らかな人選ミス。
 僕こそが賊。あの時僕の代わりに王子を手にかけようとした賊を逃がしたのも僕。
 それだけでも皮肉ってやりたいほどなのに、よりによって姫を手酷いやり方で手折った張本人に彼女を励ませ、と。
 全てを知る僕にしてみれば滑稽極まりない話だ。姫の瞳を涙に曇らせることはできても、あの輝かしい笑顔を取り戻させることなど僕にはできやしない。他ならぬ僕だけが、その資格を持たない。
 ――そう、僕こそが元凶なのだから……。

「姫のあのご様子は、ただカイン様のことばかりを案じておられるというだけではないような気がするのです。あの仮面のような笑顔の裏に一瞬垣間見える、哀しげで苦しげな光が……そう、まるで、ご自分の中で何かに葛藤しておられるような。私には、そのように感じられて仕方がないのです」

 これといった根拠もなく、うまく説明しにくいのですが……と申し訳なさそうに付け加える彼を眺めながら、僕は今までの彼に対する見方を随分と変えさせられていた。
 彼の言葉によって生々しく蘇ったあの夜の残像。悲痛に彩られてなお美しかった、姫のかんばせ。そしてあの生き生きとした笑顔が失われ、作り笑いを余儀なくされた、姫の今の痛々しい姿。
 それらを振り払いたくて、あえて目の前の男に意識を集中させようと努めていただけだったのかもしれないが――少なからず驚きだった。
 彼のことは典医としての能力はさておき、人付き合いが不得手で、気弱そうで、ただ物静かなだけの取るに足りない人物だと正直侮っていた。それがなかなかどうして、ここまで細やかに彼女の異変を感じ取っていたとは、たいした洞察力だ。
 それによくよく考えてみると、彼は国王という絶対的な後ろ盾を失ったにもかかわらず、味方の少ない王宮にあえて留まり、孤立しがちであった国王の遺児たちを守ろうと一人奮闘していたのだ。軟弱そうな外見とは裏腹に、なかなか肝が据わっているのかもしれない。
 なによりも彼が姫を心底案じているのが明白で、そのことがひどく僕を安心させた。
 正当な血統であっても、国王の庇護を失った王女と王子を取り巻くのは味方ばかりではない。そもそも僕がこの王宮にいる時点でそれは明らかだった。
 このローデンクランツには自国を強国に、すわ軍事国家にと望む声が少なからずある。前国王の遺志を継いであくまでも平和主義を貫こうとする姉弟を目障りに思う者たちが、確実に存在するのだ。
 華やかに見える王宮は、実は海千山千の魑魅魍魎が跋扈する魔の巣窟。
 年若い姉弟に近づいてくるハイエナたちは、己の手の内心の内を隠すことに巧みであるから、敵味方の判別は容易ではない。
 そして、記憶を失って何もかも手探り状態な王子の立場はひどく危ういものだった。それが現状。
 そんな中で何の利害関係もなく王子王女を守ろうとしているこの典医は、僕にとっても貴重な存在であると言えるのだろう。
 見るからに戦闘向きではない彼が一族の凶刃を防げるとは思わないが、これほどの忠義心と情の持ち主であれば、身を挺して二人の盾になるくらいのことはするかもしれない。――無論、暗殺者が姫に刃を振り下ろそうとする前に、僕が必ずそいつを始末してみせるけれど。
 そう、それこそが僕の果たすべき使命。たとえそれが唯一友と呼べるかもしれない相手であったとしても、躊躇はしない。王子と姫の身は必ず守ってみせると、命に代えてもそうすると、彼女にも自分自身にもそう誓ったのだから。

 ――君との約束は違えないから。

「……オウ、リオウ。深刻な顔をして、どうかしましたか?」
「――え? あ、申し訳ありません。カイン様や姫のご心痛を思うと、無力な自分が悔しく思えまして……」

 我に返り、沈痛な面持ちで取り繕うと、彼は自分の大切な二人を気遣われたことへの嬉しさ、二人の心痛を思ってのやるせなさ、そして無力な自分自身に対する悔しさと無念さ、それら全てが入り混じったような複雑な笑顔で僕に応えた。
 僕もまた同じようにそれに応えながら、心の中では自分の迂闊さに舌打ちする。どうやら何度か名前を呼ばれていたらしいのに自分の思考に耽ってしまっていたらしい。――あの夜交わした、姫との約束を思って。
 ……注意力散漫だ。これからは一瞬たりとも気が抜けないというのに。
 穏やかな宮廷楽士の顔の下で、暗殺者として培ってきた感覚を今まで以上に研ぎ澄まさねば――、と改めて気を引き締めなおす。
 一瞬の油断が命取りになる。決して失えないものを失わないためには、常に神経を張り巡らせることが不可欠なのだ。僕がこの手で守るべきものは、それほどまでに重い。

「か弱そうに見えて姫は芯の強い御方。王族に生まれついたからには、ご自身を含め、ご家族が狙われうるということは元より覚悟しておいでです。だからあの騒動の後も、それに関しては不安を抱えながらも御心を引き締めていらっしゃると思うのです。しかし……」
「しかし?」
「ご両親を亡くされた傷も完全に癒えぬこの時期に、全てを背負われるには、姫の肩はあまりにも儚すぎる……」
「…………」
「ですから、姫を思い煩わせているものが他にもあるのならば、せめてそちらだけでも取り除いてさしあげたいのです」

 僕の目を真っ直ぐに見つめたまま、彼はきっぱりと言い切った。
 その力強い視線を今は直視できなくて、僕はわずかに視線をそらす。

「……何故、僕に? 長年姫のお傍におられたジーク様やアストラッド様のほうが、よほど適任かと思われますが。姫が僕ごときに悩みを打ち明けてくださるとは、とても」
「そんなことはありません。私が知る限り、姫のお傍近くにいる者の中で、貴方は他者に対して最も気配りのできる人だと思っています。人の心の機微を敏感に察することのできる貴方ならば、姫からうまく話を聞き出し、相談に乗ってさしあげられる、と。私やアストラッドのような年長者には話しにくいことでも、年齢の近い貴方にならば話せるのではないかとも思うのです」

 それに何よりも――、と彼は柔和な笑顔で付け加えた。

「カイン様の教育を通じて貴方と接するようになってから、姫は目に見えてお元気に、そして明るくなられた。それは貴方のおかげでしょう? 休日には、姫のほうから貴方を外に誘うようになられた、それも頻繁に。――そうですよね?」
「……それは、僕が時間を自由に作りやすい身分だからでしょう」

 望む答えが得られなかったのだろう。彼は少し困ったように微笑んで、僅かに間をおいてから、なおも続けた。

「姫はご両親を失って以来ずっと塞ぎがちで、それでも無理に明るく努めようとなさるお姿がかえって痛々しかった。だから、姫に笑顔を取り戻させてくれた貴方に、私は本当に感謝しているのです」
「それは姫ご自身のお強さと、姫を支えてこられたジーク様たちのお力あってこそです。僕など、何も」
「リオウ……。聡明な貴方のことですから、薄々にでも察していたのでしょう? ……姫の貴方に対するお気持ちを」
「……僕は一介の楽士にすぎません」
「たしかに姫は一国の王女、そして貴方は宮廷楽士。私もまがりなりにも王宮に仕える身ですから、本来ならば、諸手を上げてお二人を応援するわけにはいかないのでしょうが、」

 一瞬自嘲気味な笑みを浮かべたと思うと一変、今度は痛すぎるほど真摯な眼差しが僕を射抜いた。視線だけではない。声を荒げるではないのに断固とした決意を秘めた口調をもってして、僕を真っ直ぐに貫いた。

「私の望みは、カイン様と姫が幸せになってくださること。だから、貴方と共に在ることが姫の幸せに繋がるのならば、私はそれが叶うことを祈り、そしてそうなるよう尽くすつもりです」
「ジーク様……」
「もちろん貴方の気持ちを無視してまでとは言いませんよ。それは口で言うほど容易いことではありませんしね。しかしもしも貴方が姫を、少しでも憎からず想ってくれているのなら、せめてそのご心痛を取り除くべくお慰めしてさしあげてほしい。どうか、このとおりです」

 そう言って律儀にも頭を下げる彼に、僕は困惑した表情でそれを見守ることしかできなかった。
 気配りのできる宮廷楽士として相応しい返事をすることもできないままに――。



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