Liou+Princess (王宮夜想曲)


 太陽の如き琥珀色の瞳。
 幼い頃に見たそれはとても綺麗で、目が離せなかった。
 今思えば、初めて彼女の瞳を覗き込んだあの瞬間から、その瞳に囚われてしまっていたのかもしれない。




あの日、僕は君と出会った
 (君と僕、10のお題 / 配布元: MAZE of WIND様



 今回の舞台となる王宮入りを果たしてから、そろそろ半月が経とうとしていた。
 主演はこの国の国王一家で、僕の役どころは人好きのする宮廷楽士。演目は王族暗殺で、この舞台が悲劇になるか喜劇になるかは観客の立場次第となるだろう……もっとも、結末は同じなのだから、どちらに受け取られようとも僕にとってはどうでもいいことだ。
 しかし、肝心の千秋楽、つまり暗殺の決行日は未定。それが、この演目が一筋縄ではいかないことを物語っていた。
 舞台のスポンサーもとい暗殺依頼人のご希望は、「一家諸共」。そして決行のタイミングにも、こだわりがあるらしい。標的が王族というだけでも厄介なのに、国王、王妃、王子、王女の四人をひとときに始末するというのは、流石に骨の折れる仕事だと言わざるをえず、この演目が長丁場になるのは明らかだった。
 栄えある共演者に選ばれたとはいえ、僕は一介の大部屋役者に過ぎず、そんな僕が主役を張る大物たちと親密になるには、それなりの手順を踏まねばならない。なにせ、いまだ国王一家のご尊顔すら拝していない状態なのだ、まずは宮廷楽士として周囲の評価と信頼を得て、舞台状況を整えること――それが国王一家に近づく第一歩となる。

『あ〜ん? 笛吹いてお愛想振りまくだけで、王宮住まいの三食昼寝つきかよ。あーあ、羨ましいこったねえ。俺が代わりたいくらいだぜ』

 不意に腐れ縁のぼやきを思い出し、渋面になってしまう。なにが「代わりたい」だ、おまえならすぐにこんな仕事は飽き飽きだと言い出すに決まっているくせに――、と今この場にいないあいつ――ユージーンに改めて毒づきたくなった。
 別に、僕がこの任務に自ら挙手したわけではない。同業者の中には、大仕事を与えられるとそれを名誉と勘違いし、いっそうの奮起をする者もいるようだが……僕たちのような汚れ仕事に名誉も何もあったものではない。そもそも僕たちは騎士ではないのだ、名誉など無用の長物でしかないし……少なくとも僕は、名誉を感じる心など、もとより持ち合わせてはいない。
 標的が大物だろうが小物だろうが、どうでもいい。僕は与えられた任務を遂行するだけだ。
 力量的なことで言えば、この仕事は僕でなくてあいつでもよかったのだ。ただ都合よく王宮で優秀な楽士を探しているという僕におあつらえ向きな条件があったことと、退屈を極端に嫌うあいつには長期戦の仕事は向かないだろうという長老たちの判断によって、僕が選ばれたに過ぎない。
 しかし、あいつほどでなくても、僕だって退屈が好きなわけではない。

 ――そう、実に退屈でつまらない場所なのだ、ここは。

 もとより貴族とは虚飾と虚栄にまみれた醜い孔雀のようなものだと思っていたが、その最たるものがここにはあった。
 国で最も高貴な者たちが集うはずのその場所に巣食うのは、気位ばかりが高いくせに権力者には媚びへつらい、弱者には傲慢で、邪魔者を謀殺することも厭わない連中ばかりだ。醜悪な中身を誤魔化そうとしてどれだけ外見を飾ろうとも、香水でも誤魔化しきれない悪臭を撒き散らしていることに気づきもしないで――。
 実に愚かだ。
 ……もっとも、そんな奴らのおかげで仕事に事欠かず、彼らによって報酬を得る立場にある僕たちのほうが、よほど醜く愚かなのかもしれないけれど。

 愚鈍な貴族たちをうまくあしらいながら王宮内で生活することは、さほど苦ではない。けれど、苦ではなくても反吐は出る……貴族たちにも、そしてそんな奴らの前で笑顔であり続けねばならない自分にも。

 ――なるべく早い幕引きになればいいが……。

 そんなことを考えながら、王宮庭園のそばを通りかかったときだった……僕が小さな異変に気づいたのは。
 当然いるべき警備兵の姿がそこにはなかったのだ。
 王宮内で唯一無垢で美しいその場所の美観を損なうことになろうとも、兵は常に配備されているはずで、今のように庭園が無人だからと言って兵までもが持ち場を離れるなど、まず有り得ない。王宮入りしてから掴んだ情報によれば、この場所でこの時間帯ならば兵士はたしか二人いるはずだった。

 何かあるのだろうかと考えるより先に、体が動いていた。
 気配を殺し、庭園の裏口付近に回り、庭園内から死角になっている場所に身を隠す。そして神経を集中させれば、枝葉が邪魔で姿を把握することはできないものの、少し離れた木の上に、たしかに人の存在を感じ取ることができた。
 たとえ視界に誰の姿も入ってこなくても、幼い頃から特殊な訓練を受けてきた僕たちの五感は常人のそれより遙かに鋭敏で、それを見逃すことはない。――そう、この目は闇の中を見透かし、この耳は一定以上離れた場所の音までを拾い、この鼻は無臭に近い匂いまでを嗅ぎ分け、この舌は無味に近い毒までを察知し、この肌が全身で異変を感じ取る。

 ――数は……一人。ご同業か?
 ………いや、違う、これは……。

 僕の獲物を横取りしようとする輩が侵入していたのかと考えたのは、ほんの一瞬。すぐさまそれを却下したのは、その気配が無防備すぎるほどに垂れ流しだったせいだ。同業者にしては、あまりにお粗末過ぎる。
 時として、標的を油断させるためにわざと気配を消さない場合もあるが、それではわざわざこんな木の上に隠れている意味がなく、この気配の主に関しては、どう考えてもずぶの素人だということが窺えた。
 そこに、
「……もう、飛び降りてしまおうかしら」
 という、ほとほと困っているような、投げやりになっているような女の呟きを耳にしてしまっては、いやでもこの状況を把握しないわけにはいかなかった。
 今現在は不在であっても、国王が鎮座するこの王宮内で、なぜ女が木に登っているのかは分からない。しかし、この女は木に登ったものの、降りるに降りれなくなっている――そういうことなのだろう。

 瞬時に、全身が冷めていくのが分かった。
 これは貴族の間で流行っている新手の遊びなのだろうか。だとしたら、くだらないお遊びにわざわざ付き合ってやるほど僕は酔狂ではないし、相手が同業者でないなら、それが何者でも興味はない。むしろ、面倒なことに巻き込まれるのは御免だ。
 だから相手に気づかれないようにそっと庭園を出て行こうとした僕が、次の瞬間にその歩みを止めてしまったのは、いっそ呑気とも言える口調で、しかし耳を疑いたくなる独り言を女が漏らしたせいだ。

「………小さい頃に階段から落ちたときより、痛い、わよね」

 振り返ったところでその姿が見えないのは分かっていたが、それでも咄嗟に後ろを振り返り、木の上に居るはずの女を凝視せずにはいられなかった。

 ――この女、頭がおかしいのか?

 女が言わんとしていることは一つ、――つまり救助を待たず、あの木から飛び降りるということだ。
 たしかに先刻も飛び降りてしまおうかという言葉を口にしていたが、それはただのぼやきで、本気でそう考えているようには聴こえなかった。
 けれど、今は違う。まだ怯んでいる気配はあるけれど、静かな決意のようなものがそこには確かに感じられた。
 しかし木は高い。よほど鍛えた体と運動神経がなければ、あの高さから落ちて無傷ではいられまい。階段から落ちる衝撃の比ではないことは、女だって当然分かっているはずだ。

 女は庭園に自分以外の誰もいないと思っているのだろうが……大怪我をするくらいなら、たとえば大声を出して助けを呼べばいい。今それをしないのは、女がこの事態を他人に知られたくないと思っているからだと容易に推測できる……けれど。
 木から飛び降りて大怪我をすることだって、結局は人の耳に入るだろう。そうなれば、どちらにせよ恥をかくことには変わりはなく、痛い目を見ないで済むだけ人を呼んだほうが利口だ。
 しかし、あえて危険なほうの選択肢を選ぶということは――。

 ――無様な姿を人前に曝すよりはマシだということか。

 女がしようとしていることを愚かな選択だと思う。
 女が守ろうとしている誇りなど、取るに足りないものだとも思う。
 時として人は、捨てたくもない誇りを捨てなければいけないこともある。それは、生きていくために、あるいは大切な何かを守るために。
 けれどこの女は、そんな真に差し迫った状況で人が誇りを捨てなければならないときの苦痛など知る由もないのだろう。

 けれど。
 女の決断をくだらないと思う反面、少し……、そう、ほんの少しだけ、面白いと思ったのも事実だった。
 声の感じや喋り方からして、おそらく女は僕と同じくらいかそれより少し年下なのだろう。生粋の箱入り娘がほとほと困り果てて、どうしていいか分からないでいる、といった印象だったせいか、彼女から宮廷人特有の毒々しさや嫌悪感が感じられなかったことも、――後から思えば、このときの僕に気まぐれを起こさせる大きな要因になったのだと思う。
 女の決断は、ある意味、考えなしの蛮勇だが、またある意味、潔い。
 いかに体面や体裁を気にする貴族が多いといっても、結果が大怪我に繋がることが明らかなこの状況において、この女と同じ選択をする者がどれほどいるだろうか。

 このときの僕は、女の身を案じたわけではなく、女が飛び降りて、最悪命を失ったとしても別に構わなかった。僕がこの場にいたことが判明しなければ、僕には何のお咎めもないのだから。
 強いて言うならば、この女への少しの好奇心と、この退屈な宮廷生活における、ほんの暇つぶし――要は、ちょっとした気まぐれ。その程度の軽い気持ちでしかなった。
 そしてその裏で、女を助けて恩を売っておくのも悪くないという、暗殺者としての打算も働いていた。この女が良家の子女であることは疑いようがなく、もしかしたらこれを足がかりとして王族に……いや、そこまで行かずとも、王族のそば近くで仕える貴族に近づくチャンスができるかもしれない――そう考えたのだ。

 だから僕は、女に気づかれないように裏口から正面の入り口に回り、今度は女の目につきやすいように、わざと芝を踏みしめる音を立てながら件の木のほうへと歩いていった。

 ――柔らかい風が頬を撫でる、春の午後のことだった。



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