Hanabusa Aidou (Vampire knight)


「ほらな、ここなら誰もいないだろ?」
「みたいだな。って、保健医は何してんだよ」
「それはほら、あれ。あの呼び鈴を押せば駆けつけてくるようになってるんだ。普段は隣りの準備室でスタンバイしてるよ。あそこにはテレビとか置いてあるからさ」
「へーえ。俺、今まで保健室を利用したことなんかなかったから知らなかったよ」
「俺も」

 僕の安眠を妨げる闖入者たち――普通科の男子生徒三人は僕の存在には全く気づいていないらしい。入り口付近のベッドに腰掛けて、声をひそめることもなく、おしゃべりを始めてしまった。
 どうやらただのサボリみたいだ。
 にしても、人間というのは本っ当に鈍くて困るよ。
 いくら僕が死角になっているベッドを選んだとはいえ、気配を察知することもできないのかな。僕なんか、カーテンを閉めたままでも彼らの動きを逐一把握できるというのに。
 それに、仮に誰もいなかったとしても、保健室や図書館では静かにしましょうって小さい頃に教わらなかったの?

「三年の樋野先輩、良くねぇ?」
「一年のマツリちゃんもなかなかだと思うね」
「いやいや、俺はもう少しポッチャリ系がいいな。最近はボリュームの足りない女が多くて……」

 この子はこうだ、あの子はああだ、等々、マナー知らずな人間たちのマシンガントークは止まることを知らない。
 ああ、もう、うるさいな。温厚な人格者である僕の我慢も、もう限界だ。
 僕も女の子は大好きだけど、品の欠片もない女性批評はうんざりだよ。
 やれやれ、と、僕はベッドから半身を起こし、カーテンに手をかけた。

『うるさいんだよ。いい加減にしてくれない?』

 鋭く放とうとしたこのセリフは、しかし、放たれることはなかった。勿論カーテンも開かれることもなく。
 だってその時、下世話な話題の中に、よく知った名前が挙げられたから。 しかもそれがこの場で取り上げられること自体、意外だったから。
 だから反射的に口をつぐんでしまったんだ――。

「黒主優姫も、いいよな」

 ……どういう好みなんだろ。

 素でそう思って、それから僕は反射的にほっぺたをさすった。急にそこが痛くなった気がしたんだ。もちろんそれは気のせいだと解っているんだけど、「古傷が疼く」という感覚に近いのかな。

 …………。
 も、もしかして、トラウマになってる……?

 優姫ちゃんに批判的な感想を抱いてしまったという事実だけで、枢様の怒りを買うような気がしてしまった。空恐ろしい。
 あの人は優姫ちゃん絡みになると、特に容赦ないからなぁ……。

 だけど僕には解らないんだ。あの枢様にあれほど大事にされている彼女の魅力が。
 頭も良くなさそうだし、とりたてて美人ってこともないし、幼児体型だし、鈍くさそうだし。
 ただの人間の少女としか思えない。
 何かしらの魅力があるからこそ枢様に可愛がられていると思うんだけどさ。

 でも、彼女の魅力が解らないのは僕だけじゃなかったらしい。さらに、僕の黒主優姫評が間違っていないことも、この直後に証明されることになった。

「はあ〜? 黒主ぅ? おまえ、どういう趣味してんだよ」

 そう言えばこの男はさっき、「気高くて美しくてナイスバディなお姉さま風才媛」がいいとかほざいていたっけ。
 それとは正反対なイメージの優姫ちゃんを推す友人が心底理解できないのだろう。いかにも不満ありありな気配が伝わってくる。

「そりゃ可愛くないことはないけどさ。あんな、いまだにお子様パンツはいてそうな女、これっぽっちもそそらねーじゃん」

 それに対して僕は、心の中で相槌を打ち続ける。

「成績だってイマイチだしさ。風紀委員だか何だか知らないけど、校則にうるさいだけで、何の取り柄もなさそうじゃないか」

 枢様がこの場にいようものならば――。

 ……いや、考えるのはよそう。
 枢様なら、こいつの暴言を止めようとしない僕も同罪とか言いそうだしさ(止めないばかりか賛同しちゃったし)。くわばらくわばら。

「おまえ、それ言いすぎ」
「だよな。それに前回の試験の順位、おまえのほうが下だったくせに」
「な、なんだよ、ムキになるなよ。そこ軽く流すところだろ?」

 二対一で旗色が悪くなった上に痛いところを突かれ、男がたじろぐ気配がした。
 意外なことに、優姫ちゃん支持者は一人だけではなかったらしい。
 もしかして、まさかとは思うけど、意外にも、優姫ちゃんは男子に人気があるのかな? それとも単にマニア向けってやつ?
 蓼食う虫も好きずき、とは言うけど。物好きなのは、枢様や錐生零だけじゃなかったんだね……。

「だったら訊くけどさ、黒主優姫の何がいいって言うんだよ」

 思わず固唾を呑んだ。
 自分でもビックリだけど、珍しく僕はドキドキしているらしい。
 だって、そこなんだよ、僕が知りたかったのは。
 実際に優姫ちゃんに好意を持っている人物の口から、そこを聞きたかったんだ。
 あの子にそれほどたくさんの美点があるとは思えないから、枢様や彼らが認めている要素はきっと共通しているはずだ。
 今こそ長年の謎が解明されるかもしれない。

「ずば抜けてここがいい!……てところはないんだけどさ、」

 そうだよね。

「一見しっかり者のようで実は間が抜けているところとかが、妙に可愛いんだよ。ほら、あいつ、運動神経はいいくせに、よく転ぶだろ? ああいうのを見ると、思わず手を差し伸べてやりたくなるっていうかさ」

 あー…、それが可愛いかどうかはともかく、たしかによく転んでるね。でもって、枢様もそんな時は必ず手を差し伸べているよ。

「あのロリ外見で風紀委員業に燃えてるのも、小学生が大人の真似事やってるみたいで微笑ましかったりするし」
「そうそう、『頑張ってるじゃないか、えらいぞ〜』って、頭撫でてやりたくなるんだよな」

 …………。
 なるほど。微笑ましいのとうざったいのは紙一重ってことか。風紀委員がいないと僕らも困るから、それについては感謝してないでもないけどさ。
 それはそうと、枢様も優姫ちゃんの仕事をねぎらってよく頭を撫でているな……。

「それにさ、小さい体で元気一杯走り回ってる姿が小動物に似てるだろ? たとえるなら、くるくる回り続けるハムスター。あれを見てると肩の力が抜けてくるというか、癒されるんだよな」
「あー、解る解る!」

 感性が似ているらしい二人はわけのわからない喩えで大盛り上がりだった。
 ためしにくるくる回り続ける優姫ちゃんを想像してみたけど……癒されるかなぁ?
 僕にはよく解らないや。
 でも枢様が優姫ちゃんを見つめる瞳はとても穏やかだ。まさかあれは、こ いつらの言うところのハムスター効果に癒されているってこと?

「黒主ってさ、風紀委員だからうるさいとこもあるけど、なんだかんだで人の世話焼いてやる、いい子なんだよ」
「ふーん? でも俺としては、黒主よりは夜間部のお姉さまがたに癒されたいけどな」
「バーカ。あの夜間部のどこに癒し要素があるんだよ。くつろげなきゃ癒しとは言わないんだぜ? 夜間部女子のイメージは雪女そのものだもんな。温かみってものが感じられないんだよ」
「俺も夜間部はちょっと。完璧すぎてどうも、な。人間、何か欠けていたほうが可愛げがあるってもんだ」

 話が一段落した途端、タイミングよく講義終了の鐘が学園内に鳴り響いた。
 あと少しで宵の刻、校舎入れ替えが行われる。
 普通科は、夜間部に校舎を明け渡す前に校舎を去らねば校則違反になる。
 授業をサボリはしても、そちらの違反をする気は彼らにはないらしい。三人組は重い腰を上げ、保健室から引き上げていった。



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