Hanabusa Aidou (Vampire knight)


 別に、盗み聞きしようとしたわけじゃない。この僕が、そんな俗っぽいことをするはずないじゃないか。
 たまたま僕がいた所にたまたまあいつらがやって来て、僕がいることに気づきもしないでおしゃべりを始めちゃったんだ。
 で、たまたまそれが、ほんの少ーし、僕にも興味がある内容だっただけで。
 だから拝聴したわけなんだけどね。
 たまたまの連続だっただけなんだ。
 ――本当だよ?



□■□




 こんなことなら、論文なんか発表するんじゃなかったよ。
 こみ上げてくる苛立ちを抑えきれずに、僕は理事長室を後にした。
 夜間部の皆はまだ月の寮にいる。当たり前だ。普通科と夜間部の校舎の入れ替えまで、まだしばらく時間があるんだから。
 それなのに何故僕が学園の廊下を歩いているかというと――僕が以前暇つぶしに書いて発表した論文が原因だ。
 僕の論文に感銘を受けたとかいう、とある研究機関の人間たちが、ひっきりなしに僕にコンタクトを求めてくるようになってしまったんだ。
 曰く、「奇跡の天才少年である君の力を、ぜひとも我が研究機関に貸していただきたい」。
 この僕に目をつけるなんて目が高い。そこだけは認めてあげるけどね。これがもうしつこいのなんのって。
 連中は何度断られても諦めがつかないらしく、今度は黒主理事長に僕の説得を依頼してきたんだ。今度は搦手から攻めようという魂胆だよ。
 いいかげんにしてくれないかなぁ。何をやっても無駄だって、どうして解ってくれないんだろう。

 で、今日、理事長直々の呼び出しを受け、授業が始まる前にここに参上したというわけ。
 どうやら理事長は僕が招聘されたことについては純粋に喜んでいたようだった……けど、吸血鬼の存在を知らない人間たちに力を貸すなんて、口で言うほど簡単なことではないからね。思いは複雑だったらしい。
 でももしも僕自身がこの申し出を受けたいと思っているのなら、学園側はどんな助力も惜しまない――理事長はそう言ってくれた。
 理事長の心遣いは有難いけど、言うまでもなく、答えはノーに決まってる。
 冗談じゃないよ。
 この僕が、なんであいつらなんかに力を貸さなきゃいけないのさ。
 『昼』の仕事なんて、想像しただけでうんざりするよ。
 それ以前に、僕の頭脳を利用して研究を進めるだけの才覚も能力も、彼らには備わっていないだろう? 受け皿がしっかりしてないと、どんな素晴らしい素材も垂れ流しなんだよ?
 さすがに最後の部分だけは理事長には言わなかったけど、それが僕の本音。
 ま、小うるさい連中ではあったけど、正式に理事長が断りを入れてくれた以上、いい加減諦めてくれるだろう。
 今後は学園側も彼らをシャットアウトしてくれるというし、嫌なことは早く忘れてしまうに限る。

 ……とは思うものの、僕が考えていた以上に鬱憤は溜まっていたらしい。
寝不足も手伝ってか、イライラはなかなか静まる気配がない。
 校舎の入れ替えが済んでない今、一足先に教室に行こうものなら、普通科の女子たちに囲まれて身動きが取れなくなってしまうだろうな。
 でもこんな気分のままだと、「アイドル先輩」と呼ばれるにふさわしい笑顔を振りまく自信がないし。
 だから僕は保健室へと向かったんだ。そこは学園内において、人気が最も少なく、かつ静かな場所だから。
 カーテンを引いてしまえば、中で誰が寝てるかなんて判らないしね。
 ついてることに、保健室には人っ子一人いなかった。保健医さえいないその空間は、薬品の独特な匂いさえ除けば心地よい静寂に包まれている。
 僕は機嫌良く、一番奥のベッドに寝転んだ。
 ここなら入り口の死角になっているから、誰かが入って来たとしても気づかれにくい。
 月の寮のベッドとは比べ物にならない寝心地の悪さだけど、この際贅沢は言っていられない。

 そうだ。今日はもうこのまま授業さぼっちゃおうか。
 そしたら本格的に眠れるわけだし。
 うん、そうしよう!

 そう決めて、熟睡体勢に入りかけたところで。
 あいつらがやって来たんだ。





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