孟徳+花 (三国恋戦記)


 許都の丞相府内―――花の部屋にいたはずの孟徳と花が不思議な白い光に包まれて辿り着いた先は、許都から北東に位置する泰山郡。
 突然訳も分からず山中に放り出され、運悪く野盗に追われ、成り行きでそれを撃退した結果、二人は泰山郡丞諸葛君貢の邸で一夜を過ごすことになった。
 夏侯孟徳とその妻の花に与えられたのは、新婚設定に相応しく一つの部屋に一つの寝台。

『心配しなくても、何もしないからさ』
『一晩同じ部屋なら、寝台で寝ても床で寝ても同じじゃない?』
『寝台の端と端に寝れば気にならないよ』

 同じ寝台で寝る寝ないの攻防の末、孟徳が重ねた言葉に花は折れた。

『……――間に仕切りをつけませんか』

 普段男女の機微にとことん鈍感な花が見せた恥じらいと警戒心に孟徳は内心微笑ましさを感じるとともに苦笑せざるを得なかった。
 言いくるめたのは孟徳だが、花はあまりに素直に男の言葉を信用しすぎる。
 その上、花はおそらくまだ男と閨を共にしたことがないだろうに本当に男と同じ寝台に横になり、驚くべき寝つきの良さですやすやと寝息を立て始めたのだから。

「警戒心があるんだかないんだか……」

 世間では好色の烙印を押されている孟徳の横で、しかも突然元いた場所以外の土地に飛ばされるという―――花にはその原因に心当たりがあると孟徳は睨んでいるが―――この特異な状況下で、無防備にぐっすり寝入れるのだから豪胆だとしか言いようがない。
 それを感心すべきか呆れるべきか、やはり豪胆と言われている孟徳をもってしても本気で悩んでしまうところだ。
 もしここにいるのが自分以外の男だったらと思うと気が気でない。

「男の甘い言葉を鵜呑みにしたら、おいしく頂かれちゃうよ?」

 小声とはいえ孟徳が言葉を発してさえ、花が目を覚ます気配は見られない。

「…………」

 花に宣言したとおり、ここで花に手を出すつもりはなかったけれど、一度このあたりで男の怖さを身をもって教えてやったほうが花のためではないか。
 そんな思いと「君に嘘はつかない」と花と交わした約束との狭間で孟徳が揺れていると、花がうぅんとむずかるような声を出して寝返りを打つ。
 そしてそのまま寝台の端からころころと転がるようにして二人を隔てる布をあっさり越境してきたから、孟徳は額を押さえたくなった。
 ぬくもりが欲しかったのか、それとも孟徳の体が壁になってそれ以上先に進めないだけなのか定かでないが、花は孟徳の体にぴったり寄り添って満足そうな寝顔をさらしている。
 不意に柔らかい花の胸が孟徳の胸に押し付けられ、孟徳は内心呻きながら今度は本当に額を押さえた。
 普通なら寝たふりをして孟徳を誘っているのかと疑うところだが、花の熟睡ぶりを見る限り、疑うこと自体が馬鹿馬鹿しくなってくる。
 こうなると、さしもの曹孟徳も笑うしかない。

「前言撤回。花ちゃんってさ、警戒心の欠片もないよね。生まれてくる時に母親の胎内に警戒心を置き忘れてきちゃったのかなぁ」

 いっそ目覚めてくれとの願いも空しく、至近距離での囁きにも花は反応を示さない。

「もしかして俺、男として、全く、これっぽっちも意識されてない?」

 花の腰をゆるく抱いて、孟徳はほろ苦く笑った。
 欲望をむき出しにして盛った男は見苦しい。安易に手を出して、初心な花を怖がらせたくもない。自制心にも自信がある。
 しかし、少なからず好意を寄せている娘に擦り寄られて何も感じないほど孟徳は枯れてはいない。
 男の肉体はすでに妖しげな熱を帯び始めている。

「ねえ、君は俺にどうさせたいの?」

 香など焚き染めていないはずの花から感じる甘さが孟徳をますますやるせなく煽る。
 その時、薄桃色の愛らしい唇が小さく動いた。

「……好き、ですよ、………徳さん」

 漏れ聞こえてきた寝言に孟徳は目を瞠る。

「え……?」

 まじまじと花を凝視するが、幸せそうな寝顔を浮かべたままの花の唇はそれ以降意味のある音を紡ぎ出すことはなかった。

「もう一回言って、花ちゃん」

 孟徳がどこか切実な響きで訴えても、花は時折むにゃむにゃと口を動かすだけ。

「……どっちだ」

 重く低い声音で孟徳が呟く。
 好きですという言葉ははっきり聞き取れた。
 問題はその後に続いた男の名前だ。

『………徳さん』

 やけに甘く聞こえた花の声が孟徳の脳内で再生される。
 不明瞭だったその名前を知りたいと思う。今すぐに花を揺さぶり起こし、肩を掴んで問い詰めたい衝動に駆られている。
 しかし孟徳は強固な精神力でそれを必死に身の内に抑え込んでいた。
 男の名前が『孟徳』なら、よし。
 しかしその場合は花との約束を破って激情のままに、花を本当の意味で抱いてしまいたくなるだろう。
 ―――それはまだ早い。花の気持ちが定まるまでは手を出すつもりはない。
 そして男の名前が孟徳ではなく、他の男だった場合。
 そう、たとえば『玄徳』だったなら。
 花が嫌がってでも、花を押さえつけてでも―――『孟徳』だった場合とは違った激情のままに花を無理やりにも抱いてしまいかねない自分がいることを孟徳は知っている。
 どちらにせよ、花が望まない展開に行き着くことは同じだ。
 だから花に誰の名前だったのかを尋ねることはできない。

「もしかして俺の理性を試してるの?」

 孟徳が漏らした弱々しい呟きは多大なる自嘲を含んでいる。

「なんだか俺、花ちゃんにもてあそばれている気がしてならないよ」

 孟徳の呟きを知ってか知らずか、絶妙のタイミングで花がうふふと微笑んだ。
 今ばかりは花の太平楽な寝顔が恨めしい。
 孟徳は愛しさと少しばかりの憎らしさをこめて、花の張りのある頬をつんつんと指でつついた。
 それは忍耐力を試され、苦笑いに彩られた一夜のささやかな意趣返しだった。







亮くんちにて、夜。

(2012/08/31 WEB拍手お礼話再録)





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