Eugene (王宮夜想曲)



「そうじゃない、お前は……」

言いかけて、馬鹿らしいと飲み込んだ言葉のその先を、嫌味なほどに聡いあいつのことだから、なんとなくにでも察したに違いない。

「僕は僕だ。何も変わりはしない」

それこそ馬鹿らしいと言わんばかりに、あいつはそう切り捨てたけれど。

――本当に? 本当に、そうか?
だったら。

『彼女はそこらへんにいる女とは違うんだ』

それは、あの女を連れ出したオレに、常に冷静なあいつが抑えきれぬ怒りとともにぶつけた言葉。きっと、思わず口走ってしまったであろう、あいつの本音。

――なあ。だったらそれは、どういう意味で言った言葉なんだ?
オレには、字面以上に深い意味があるかのように――あの女は自分にとって特別なのだと言っているように聴こえた。

『彼女は僕の獲物だ。二度と王女には手を出すな。たとえお前でも許さない』

――……違うだろ? お前の獲物は王子だ。
今騒ぎを起こしたら任務に支障をきたすかもしれないからというのが言い分のようだが……本当に?
果たして、それだけか?

だけどオレは……だからこそオレは、疑念を表には出さず、あえて飄々とした態度でそれを口にする……オレたちの不変の事実ってやつを。

「ああ、オレもお前も、一族も。何も変わらない。それはいやってーほど知ってるね」

そう、いやというほど知っている……オレも、あいつも。オレ達が何も変わらないことを、否、変われないことを。
それなのに、こんなふうにあいつにも、そしてオレ自身にも言い聞かせるようにしてしまうのは、心にこびりついた疑念を洗い流すことができないからかもしれない。
任務であいつが誰かに情けをかけるわけがない。あいつの心を動かせる人間などいやしない。
それもいやというほど知っているのに、不安めいた思いがつきまとって離れないのが苛立たしい。

オレ達は死神以外の何者にもなれない。
――だから、リオウ。

叶うはずのない夢は見るな。
情に流されるな。

早く暗殺決行の指令が下ればいいと……今オレは切にそう思う。






 海に囲まれた自然豊かな島国、ローデンクランツ。そのお膝元であるノルガースの街は、国をあげての祭事である建国祭が近いせいか、いつも以上に喧騒と活気に満ち溢れていた。
 通りにずらりと並ぶ店先で、目を輝かせながら品物を眺めている者たち。
 道行く者に、いつになく積極的に声を投げかけている店主たち。
 地元民に混じって時折異国の民とおぼしき者たちも見受けられるのは、大半が観光客だろうが、中には建国祭の特需を期待してやってきた商人たちも混じっているのだろう。
 そして今は、一日の中で最もせわしなく人々が行き交う時間帯だ。地元民、異国の民、老若男女を問わず、通りを行き来する人の波は途切れることがない。

 そんな雑多な人の波間にその女の姿を見つけてしまったのは、まったくの偶然だった。
 琥珀色の瞳が印象的な、一人歩きの女。
 地味で簡素なドレスに身を包んでいても、それはどう見ても上質のものであり、それ以前に、女から滲み出る高貴なオーラは隠しようがなく、本人は街に溶け込んでいるつもりかもしれなかったが、女が上流階級に属する者だということは一目で知れる。
 貴族が城下町をぶらつくこと自体はさほど珍しくはなくても、それはたいてい供を伴ってのことであり、妙齢の貴婦人が一人で街をふらつくなど、貴族社会ではまずありえない話だ。

「見るからに鈍そう……じゃなかった、おっとりしてそうだもんなあ、あのお姫さんは。いくら治安の良い街だっつっても、不用心にもほどがあるぜ」

 女から一定の距離を保った場所でぼそりと呟きながら、少し離れた場所の気配までもを探ってみるが、それらしきものは何も感じられない。ということは、その女――ローデンクランツの王女を陰からでも護衛している者は皆無ということだ。
 たしかにノルガース地方は国内でも最も治安が良いとされ、また、ローデンクランツの国民性は争いを嫌い穏やかだと言われてはいる。しかしそれは全体像としてそう言われているだけであって、人間個々のレベルでみれば、必ずしも皆が皆善良であるはずがない。

「使えねえなあ、王宮の兵士ってのは。お姫さんにしても、世間知らずなだけか、単に馬鹿なだけか……って、どっちも同じか」

 皮肉げに歪められた口元からこぼれたのは冷笑。
 箱入りといえば聞こえはいいが、なんと無防備で、なんと迂闊な女か。これまで最上級の教育を施されてきたのだろうが……王宮の教育者たちは、もっと根本的なことを教えてやるべきだ。王女はおそらく護身用の懐剣を忍ばせる程度のこともしてはいないだろう。

 ――あれじゃあ、路地裏に引きずり込まれて無理やり犯られたとしても、文句は言えねえんだぜ?

 美姫と名高い王女の容貌は人の目を――とりわけ男たちの目を引いていた。今だって、少し離れた薄暗い路地裏から、顔をにやつかせた柄の悪そうな男たちに全身を値踏みするかのごとき下卑た視線を注がれているということも、おそらく王女は気づいてはいないだろう。
 人が多い場所というのは、目撃者となるべき人の目が多いということだ。だがそれが必ずしも安全だとは言えないもので、やりようによっては人に紛れるからこそ人一人がいなくなっても気づきにくいこともある。王女はきっと、そのことを理解していない。

 ――もしここであの女が手痛い目に遭おうとも、オレにはかかわりのないことだ。だが……。

 ふと、以前にエシューテの港市場を王女とリオウが訪れていたときの光景が蘇った。
 いずれ弟が統治することになる国を自らの目と足で見てまわりたいという酔狂な王女が、休日にたびたびリオウを伴って王宮外に出ているという情報を得て、こっそりとその様子を窺いに行ったことがある。
 リオウの仕事振りを監視するという意図はなく、ただの気まぐれからだった。リオウの仕事は抜かりがない。ただ、お忍びの王女様とそれをエスコートする猫を被ったリオウのやり取りを見物してみたいと思ったのだ。
 聖職者である神官やいかにもおっとりした典医では土地不案内ということを含めて何かと頼りないかもしれないし、あのきらきらしい国王補佐や無骨な騎士団長を伴っては悪目立ちするだろうことは、さすがに王女も予想できていたのだろうか。たとえ王女同様に人目を引く容姿ではあっても、平民で土地勘のあるリオウを同行させていた王女の選択はある意味では正しかったと言え、そしてまたある意味では皮肉な選択であったとも言えた。
 王女がどんなに熱心に国を視察したところで、彼女の最愛の弟がこの国を統治する日はやってこないのだから。それも、王女自身が選んだ、信頼の置ける同行者の手によって、彼女の弟の命は散らされる。
 とんだ茶番だ。
 けれど、王女と暗殺者の不毛な茶番劇がちょっとした退屈しのぎにでもなれば上々だと、あのときのオレはそんなことを考えていた。悪趣味だと自分でも思わないでもなかったが、ちょうどその頃、単調でくだらない任務が続き、からかう相手も身近にいない状況だっただけに、とにかく何でもいいから気分を紛らわせたかったのだ。
 そのときの気まぐれを、後から後悔する羽目になるとも知らずに――。

 あのとき……港市場を散策しながら楽しそうに微笑みあう二人の姿に、オレは言いようのない違和感と漠然とした不安を覚えた。否、二人の姿にではなく、リオウの姿に、だ。

 ――なんだ? リオウのあの微笑みは。

 リオウは任務のためならどんなことだってできる。標的を穏やかな笑顔で騙し、次の瞬間にはその微笑みのまま躊躇なしに相手の息の根を止められる。たとえそれが女子供でも、たとえそれが親しんだ人間であっても。
 どれほど優しそうに見えても、リオウはそういう男だ。
 演技派揃いの一族の中でも、毒のない男の仮面を被らせればリオウの右に出る者はいない。
 だから、あれは演技だ、あいつの演技が見事すぎて、このオレでさえ騙されかけているんだ――そう自分を納得させようとするのに……本能がそれを否定する。

 ――違う。オレはあいつのあんな目を見たことがない。

 たしかに傍から見れば、リオウはいつものように偽りの楽士の仮面を被り、うまくやりおおせているように見えるだろう。だが、腐れ縁の自分だからこそ分かることがある。
 王女を見つめるリオウの瞳だけは、きっと演技ではない、と。
 直感的に思った。
 普段は感情の揺れを微塵も見せないくせに、あのときのリオウの瞳に宿る光だけは、たしかに揺れていたように見えたのだ。

 あんな、眩しいものを見るかのような瞳で。
 あんな、大切なものを見るかのような瞳で。
 あんな、切ない瞳で。

 ――リオウ。お前は……。

 考えるより先に体が動いていた。気づいたときには、港市場でわざとリオウに姿を見せていたのだ。あれは、オレはここにいるぞ、いつでもお前たちを見ているぞ、という牽制のつもりだったのだろうか。
 オレの存在を捉えた瞳からは瞬時に揺らぎが消えて、あいつはいつも通りのリオウに戻った……そしてオレは、らしくもなく安堵したものだった。
 だが一度芽生えてしまった疑念はその後も払拭できず、いまだにオレの心に影を落とし続けていた。

 だから、今日このとき、ノルガースの街で王女を見かけた瞬間に、試してみたくなったのだ――王女と、そしてなによりもリオウの心を。
 おあつらえむきなことに、オレは今、貴族を装っている。これなら王女に近づいても違和感はないだろう。

 王女が王宮に戻らなければ、リオウはどう出るだろうか。
 動くだろうか。
 動くとすれば、どんな表情をして、どんな瞳で、何を口走るだろうか。

 ――オレは、それが知りたい――。

 懐から王女を釣る餌を――ブローチを取り出し、オレはゆっくりと王女へと近づいていった。


■□■


「王女様、どうされたのです? 大丈夫ですか? 王女様?」

 予想外の事態に少々焦りながら何度も呼びかけるが、あっさり意識を手離してしまった王女はまるで反応を示さない。ソファーに倒れこむようにして横たわっている。
 王女が完全に寝入ってしまったことを確かめて、オレは態度をがらりと変えた。これこそ、フェンデ家次男坊サイラスの仮面を脱ぎ捨てた、素のままのオレだ。

「おいおい、たったこれっぽっちで……マジかよ……」

 貴族に扮したのは任務。リオウに言わせれば、貴族を演じるにはオレには気品とやらが足りないらしいが、自惚れでもなんでもなく、それを補って余りあるほどの演技力と教養は身につけている……とはいえ、堅苦しく気取った貴族の役は性に合わないというのが本音だ。
 王宮お抱えの楽士や料理人などといった一流どころの専門職ならいざ知らず、漠然と「貴族」を演じるなど、朝飯前のこと。もっとも、「貴族サイラス」の設定は、針の穴ほどの隙もない完璧なものであるから、漠然とした役どころとは言いがたいかもしれないが。

「弱い……なんてもんじゃねえな、こりゃ。んだよー、王族って奴は、式典やなんやかんやで上等な酒飲み放題なんじゃねえのかよ」

 王女を酔い潰すつもりなどなかったし、当然、酒に何かを混ぜたわけでもない。
 上物であることを除けば何の変哲もないただの酒で、ましてやこれは口当たりがよく、さほど強いものではない。
 酒は嗜好品であると同時に、人の心を開放させ、堅い口を軽くさせる小道具でもあり、王女のリオウに対する気持ちを聞きだすために役立てるつもりだった。
 王女がリオウをどう思っているかで、リオウの今後に何か影響を及ぼすのではないかという漠然とした思いがあったからだ。
 やはりあのリオウが変わるはずがない、さすがにそれは杞憂だろう、とも思うのだが……あの港市場でのリオウを見て以来、このオレ自身もどこか調子が狂ってしまったような気がしている。

 ――そもそもの元凶はこの女ってことだがな……。

 いかに自分がそうなるよう仕向けたとはいえ、初体面の相手にのこのこついて来たり、勧められた飲み物を疑いなく飲み干したり、あまつさえこんな無防備に人前で酔い潰れてしまったり……。
 王女の酒に対する耐性のなさにも、予想外の展開にも、そしてこんなおっとりした女に調子を狂わされているオレとリオウに対してもかすかに苛立ちを感じながら、ソファーに倒れこんでいる王女をまじまじと見下ろした。
 こんな間近で王女を見るのは今日が初めてだった。警戒心のなさや世間知らずということはひとまず置いておけば……たしかに、いい女だと思う。いや、その無防備な様はむしろ男の保護欲を刺激するのかもしれない。
 穏やかで優しい性格がそのまま顔に出ているかのような柔らかな美貌は、肖像画で見るよりもはるかに美しく、儚げでいながら強い命の輝きのようなものを感じさせる。
 好みかどうかの問題はあるにせよ、この王女を美しいと認識しない人間は多くはないだろう。
 酔って寝入ってしまうという醜態をさらしているにもかかわらず、その寝姿には気品が漂っている。容姿と身分で言えば、まさに極上の女だ。高嶺の花だと分かっていてもこの王女に焦がれる男たちは、さぞかし多いことだろう。
 だが……。

「お前までそんな奴らの仲間入りなんて、ありえねえだろ? ……なあ」

 そうだろ? と。
 知らず、同意を求めるように漏らしてしまった呟きに、思わず苦笑する。
 ここにはそれに答えうる人物が居ないというのに。居たところで、睨むような目で、呆れた口調で、「馬鹿らしい」と一刀両断されるのは目に見えているのに………たとえ、本心がどうだとしても。

 リオウは頭の良い男で、誰よりも自分というものを理解している。手の届かないものに手を伸ばすような、相容れることのない世界に生きる者に焦がれるような、そんな愚かな真似をするはずがない。
 王女が天上の光なら、リオウは深淵の闇だ。そんな二人が分かり合えるはずがない。
 そもそも、いまだかつてリオウが女に……いや、女に限らず特定の人間に執着したことはない。あいつの中では人間は二種類の分類しかない、つまり、「標的」と「それ以外」と。
 女と寝ることだって、ただ男としての欲望を満たすためだけの行い、あるいは一時的な快楽を貪る行い程度にしか思っていまい。女を抱いている最中でさえ、リオウならば淡々と、そして卒なく事を進めるのだろう。
 むろん実際に現場を目撃したことなどないが、そのときのリオウの表情まで容易く予想できるような気がした。女がどれほど熱く乱れていたとしても、リオウは女に溺れることもなく、無感動に、相変わらず涼しそうな顔をしているはずだ。

 ――そんな男が、よりによって、こんなねんねに惚れるか……?

 十中八九、王女はまだ男を知らないはずだ。今までの男慣れしてそうにない態度が演技なら一族に迎えたいくらいの見事な化けっぷりだが、王女からは男と通じたことのある女特有の匂いが全くしてこない。
 それともリオウは実は、こんな初心でまっさらな女が好みだったのだろうか。

 ――……だったら………

「オレがここでお姫さんをいただいちまえば、お前の興味は削がれるか?」

 自分でも意外なほどに、その声音は部屋に低く重く響いていた。
 あながち冗談ではなかった。
 今、王女を始末することはできない。この漠然とした疑念を払拭するにはそうしたほうが早いということは分かっていたが、依頼にない殺しをするわけにはいかないし、ましてやリオウが三年という長きにかけて遂行しようとしている任務に水を差すことにもなりかねない。
 だが、リオウの揺らぎを消し去るために王女を汚してしまえば……清らかな幻想を打ち砕き、王女も結局はそこらへんにいるただの女と同じなのだとリオウに気づかせれば……。

 王女の頬から首筋にかけて、瑞々しい肌の感触を確かめるかのように、ゆっくりと指を滑らせていけば、それがくすぐったかったのか王女が僅かに肩をすくめる仕草を見せた……甘く切なげな吐息をひとつ、もらしながら。

「へえ。色っぽい声も出せるんじゃねえか」

 口の端を僅かにあげて、嗤う。それは昏い笑みだ。

「そそるねえ……」

 ――本当に抱いてやろうか。
 眠っている女に手を出す趣味はない………起こすか?

 何かに突き動かされるように、ゆっくりと王女の体に手を伸ばせば――。

「……リオウ……」

 王女の体に触れかけた手は、触れる寸前で、そのまま静止する。
 王女が目覚めたわけではなかった。身じろいで、寝言を口にしただけだ……しかし、今この場で最も効果的な名前を。

「……チッ」

 そのたった一言で、一気に気が削がれた。
 王女に向けて差し出していた手を引っ込めて、部屋の隅にあるもう一つのソファーにどっかりと腰を下ろした。背もたれに頭を乗せ、天井を仰いだ途端に、深いため息がこぼれる。
 王女はどうやらリオウの夢を、それも良い夢を見ているようだ。王女の寝顔がそれを如実に物語っていた。頬が赤いのは酒のせいなのか、それとも今見ている夢の……いや、その登場人物のせいなのか。

「チッ」

 二度目の舌打ちが口をついて出る。だがそれは先ほどのような鋭いものではなく、なんとも力が抜けたものだ。
 その気のない女を抱くことも本意ではなかったが、幸せそうに別の男の名を呼ぶ女を抱くほどに悪趣味でもない。それに、王女の平和そのものの寝顔を見ていたら、一人深刻になっていた自分が今更ながらに馬鹿らしく思えてくる。

 酒を飲ませて王女の気持ちを聞きだすことは、王女が意識を失ってしまった時点で不発に終わったと思っていたが、たった一言の寝言で目的は達成された。

 ――もっとも、リオウの名前に釣られてオレについて来た時点で、予想はついてたけどな……。

 いくら人を疑わない箱入りの王女だとしても、もしもリオウの名前をちらつかせなかったとしたら、初対面の男について行くなどという愚行にはでなかったかもしれない。
 そうしたのは、リオウが特別だからだ。見るからに鈍感そうな王女が、自分の気持ちを自覚しているかどうかは定かではないけれど。
 王女がリオウの話をするとき、王女がリオウの話を聞くとき。
 頬を薄紅色に染めて、はにかむ様を見れば、いやでも分かってしまう。リオウだって、王女に憎からず思われていることは、薄々にでも察しているに違いない。
 またため息が出そうだった。
 王女がリオウに全くの無関心であれば、話は簡単だっただろうに。

 ――王女にほだされて妙な気は起こすなよ、リオウ。

 そんなに王女が気に入ったのなら、抱けばいい。リオウがその気になれば、王女はすぐに篭絡するだろう。そして己を満足させ、王子を始末して任務を終え、一族に戻ってくればいい。

 ――そんなことも思ったけどな……。

 もしもそれが逆効果になったら。裏目に出たら――。
 王女を抱くことによって、リオウが本気になってしまったら――。

「ったく。めんどくせえことになりそうだ……」

 リオウは王女に惹かれている。それは予感というよりも、もはや確信に近い。複雑なことに、この手の勘は、よく当たる。
 だが、リオウが王女に惹かれているとしても、リオウがリオウであり続ける限りは、問題はないはずだ。暗殺者としての自分の運命を誰より当たり前に受け入れているのがリオウだ………やはり自分はいらぬ心配をしているのだろうか。

 窓の外は橙色に染まっていた。もうすぐ日が沈む。この橙色が漆黒に変わる頃には、きっと王宮では王女の帰りが遅いと騒ぎになり、それは当然リオウの耳にも入るだろう。

 ――それでお前はどうする?

 そう心の中で問いかけながらも、答えはすでにわかっていた――リオウはここに来る、王女を連れ戻しに、必ず。
 王女を案じるふりをする宮廷楽士としてのリオウならそれでよし。
 己の使命を忘れての、一人の男としてのリオウなら……。

「……そのときは、そのときか」

 それは今考えても仕方のないことだ。リオウが一族に対する叛意を見せているわけでもない今は、とりあえず成り行きを静観するしかない。

「ったく。ほんとにめんどくせえこった」

 今度は盛大にため息をひとつ吐き。頬杖をついて、一向に目覚める気配のない王女を眺めた。やけに幸せそうな寝顔が恨めしく、しかしそれ以上に毒気を抜かれてしまうのが不思議だ。

「なあお姫さん。あいつを狂わせるようなことは……しないでくれよな」

 らしくもなく縋るような台詞はしかし、今の王女の耳に届くことがないからこそ口にできた台詞だ。思わず自嘲の笑みがこぼれる。

「……長い夜になりそうだな」

 ――オレにとっても、リオウにとっても。

 それも確信。
 誰にともなく呟いた言葉は、迫り来る夕闇にそのまま吸い込まれるだけだった。





予兆

(2006/09/23)


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