Eugene (王宮夜想曲)



 ――妙なことになった。

 今思えば、いつものように神殿脇の林で落ち合った早々そう口にしたあいつの顔は、常のポーカーフェイスには珍しく、どこか苦々しさを孕んでいたように思う。
 繊細そうな外見とは裏腹に、たとえ想定外の出来事に出くわしてもこれっぽっちも動じない。あいつは、いつだって嫌味なほど「自分」というものを保っていた。
 そんな可愛げのない野郎が珍しいこともあるもんだと少し奇妙に思いはしたが、その時は単に想定外の面倒事が増えたことにうんざりしているのだろうと解釈し、その裏に隠されていたものに気づくことはなかった。
 あいつの苦々しい表情の裏に何が隠されていたのかをもっと気にかけ、探っていたなら、俺とリオウの結末は変わったのだろうか。
 今となっては詮無きことと知りながらも、ふと考えることがある。


 あの夜のことは、今でも時々思い出す。


「品位の教育担当者? なんだそりゃ?」
「言葉通りだ。カイン王子に王族として相応しい品位とやらを身につけさせる指導者として、この僕が抜擢されたということだ」
「おまえが?」
「ああ」
「次期国王である王子に?」
「ああ」
「王族として相応しい品位を身につけさせる?」
「そうだ」
「マジで?」
「だからそうだと言っている」

 鬱陶しそうに、だけどいちいち相槌を打つリオウの律儀さが可笑しかったわけじゃない。……いや、それも可笑しかったのだが。
 駄目だ、堪えろという願いも虚しく、次の瞬間には弾かれたような俺の笑い声が真冬の空気を震わせていた。闇に紛れ、人目を忍んでの隠密行動だということを本気で忘れそうになったのは、これまでの暗殺者人生の中で初めてだったかもしれない。
 その場に蹲ってひいひいと体を震わせ続ける俺を、リオウの絶対零度の視線が鋭く貫く。

「ジーン」
「だーいじょうぶだって。こんな夜更けに誰がこんな場所にやってくっかよ。実際誰の気配もないのは、おまえだって分かってんだろ〜?」
「だとしても、わきまえろ。伝令だけだとしても今は任務中だ」
「これが笑わずにいられるかっつーの!」

 傑作だ。とんだお笑い種だ。これを笑わずして何を笑えと言うのか。
 つい先日、一族随一の遊び人と称されていた男が弄んでいたつもりの素人娘に有り金を全て絞り取られたという話を耳にし、腹を抱えて笑い転げたばかりだったが、今回の話はその比ではない。

「あ〜、本気で腹いてぇ」
「いいかげん黙れ。耳障りだ」
「んなこと言われてもなあ……。だっておまえ、平民で、ただの笛吹きにすぎねーじゃん」
「そうだな」

 しかもそれは仮の姿で、正体は国王一家を殺害するために王宮に潜入した暗殺者ときた。やんごとない身分の方々からすれば、人の命を日々の糧とするリオウは平民どころか底辺に蠢く害虫にも等しい存在だろうに。
 その卑賤の者に、その標的のはずの、この国で最も高貴とされるはずの王子が、品位を教わる。
 なんという茶番。こんな滑稽な話が他にあるだろうか。

「いったいどういう人選だよ。下々の者から品位を学ぼうなんざ、王族のプライドってやつは何処に行っちまったのかねぇ。もっとも、王子本人がおまえを指名したわけじゃないだろうけどさ」
「たしかに異例なことだが、そもそも僕を抜擢した王子の世話係からして出自がはっきりしていないからな。それに、平民で一介の楽士に過ぎない僕なら王宮内の権謀術数とは無縁で、王子におかしな影響を与える恐れがない。そういう意味では、うってつけの人選と言えるのかもな」

 たしかに。
 事故の後遺症で記憶の一切を失ってしまった王子は今、知識も精神もまっさらな状態だという。よからぬ思惑を抱いた者からすれば、またとない好機だろう。次期国王たる王子を都合よく教育できれば、ひいては国家権力をその手に握ることも可能となりうる。
 華々しく見えても王宮は陰謀渦巻く世界だということを俺たちは知っている。なにせ、俺たちを卑賤と嘲っている貴族たちこそが俺たちの上得意様なのだから。
 それに、今回の人選を散々揶揄しながらもその反面、リオウが王子の教育担当者に抜擢されたのは大いに頷ける内容でもあった。
 俺たちは幼い頃から貴族と比べても遜色ないレベルの礼儀作法や学問を徹底的に仕込まれている。他人の目を欺き、油断させ、またどんな場所にでも潜入し、どんな人物設定を与えられても完璧に演じきれるようにと。
 中でもリオウは、それらあらゆる素養に恵まれたばかりか、生まれながらの品の良さがあった。奴を手本にと、リオウを王子の教育者として選んだ人物の目は確かと言える。
 それに、リオウが王族の側近の目に留まったということは、リオウの仕事が確実に成果を上げているということになる。

「妙な展開には違いねえが、ま、いいんじゃね? これで王子に簡単に近づくことが出来るし、うまくやりゃ、今よりももっと信頼を得られるだろうし?」

 王族暗殺という困難な仕事も、そうなれば、やりやすくなる。笑い話どころか、これはむしろ絶好の好機だ。

「となると、残る問題は王女か。文字通り箱入りのお姫さんと楽士風情が接点を持つのは、さすがに少し骨が折れるかもな」
「…………」
「リオウ?」
「王女も……王子の教育の付き添いとして授業に参加するらしい」
「へえ? この国じゃ女は政治に直接関われないってのに、ご苦労なこったな。でも、それならますます好都合じゃねーか。これで二人まとめて手懐けられる」

 んで、優しい教師を演じて油断させてからザクっと一突き。それで、このめんどくせー任務も終いだ。そうなったら一杯やろうぜ。
 軽い調子でリオウの背中を叩いた俺とは逆に、僅かに曇ったあいつの表情をもっと気にかけていたなら。

「……そうだな。王子と王女の信頼を得て、この手にかけることが僕の任務だ」

 どこか歯切れの悪いリオウの言葉を、もっと訝しんでいたなら。
 どこか硬い表情を崩さなかったリオウの中に芽生え始めていた葛藤と、それを抱かせる原因となった女のことを、探り出せていたならば、あるいは――。

 リオウがリオウであり、王女が王女であるかぎり、やはり結末は変わらなかっただろうが、それでも俺は、あの夜のことを今でも時々思い出さずにいられない。








いつかの夜の話

(2008/12/18)




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