外は闇、室内はランプの灯りひとつ。
その光は部屋全体を照らせるものではなく、あまりに淡く儚い。
それなのに今夜、そんな僅かな灯りさえ眩しいと、その灯りを消し去ってしまいたいと思えるのはどうしてだろう。
毎日私に心地よい眠りを与えてくれるこの寝台。
私にとって、最もリラックスできる場所のはずだ。
それなのに今夜、その寝台へと運ばれていく私の心が、これほどまでに落ち着かないのはどうしてだろう。
全ては彼のせいだと分かっている。
彼は私にあらゆる感情を教えてくれるのだ。
今感じているこの気恥ずかしさも、この緊張感も、この恐怖も、それら全てを凌駕するこの愛しさも。
全て彼によって与えられたものだ。
もしかしたら私は今夜、彼を傷つけることになるのかもしれない……あの夜、彼に半ば無理やりに奪われた恐怖を私はまだ忘れてはいないから。
けれど私は信じている、――ようやく辿り着いた私たちの想いの強さを。
私たちは今夜、新たな一歩を踏み出すのだ。
長くて短い夜が、今、始まろうとしている。
――私を貴方のものにしてほしい。
それは自分から言い出したことだ。そもそも普段の私であれば、そんな大それた事はとても口にできないだろうし、淑女としてあるまじき発言だとも思うけれど、だからと言ってそれを後悔する気持ちはない。
けれど、やはり、いざその時がくると、まだ少し怖い。
それがあの夜の出来事からくる本能的な怯えなのか、それとも男性に身を任せるという緊張からくる少女的な怯えなのか判別することはできなかったけれど、おそらくその半々なのだと思う。
だけどどちらにせよ、ここで怯えた様子を見せれば彼を傷つけてしまうと分かっているのに、寝台に降ろされた途端に強張ってしまった身体はどうしようもなくて――。
リオウはその瞳にほんの一瞬翳りを走らせて、かすかに震えている私の頬に指先で触れながら呟いた。
「怖い?」
「少し、怖い」
リオウに嘘は通用しない。そして彼自身がそんなことを望んでいないと分かっている。
「でもいやじゃないわ。それ以上にリオウのことが好きだから」
「姫……」
「だから大丈夫。平気よ?」
多少の強がりは否めなかったけれど、彼への気持ちに偽りはなかったから私は微笑んでみせた。尤も、後から足した言葉は、彼にというよりもむしろ私自身に言い聞かせていたのかもしれなかったけれど。
やはりそれを敏感に察したのだろう、彼は小さく苦笑してから私の手を取り、手の甲にそっと口づけた。目を閉じて……それはまるで祈りを捧げているかのようにも見えて。
「僕も君が好きだよ。きっと君には想像がつかないくらい、愛してる」
甘い台詞なのだろう、本来であれば。
けれどリオウの口から発せられたそれは切実なほど切ない響きを含み、私の胸をきゅっと締めつけるから、今更ながらに実感が込み上げてくるのだ……ああ、私はこんなにも深く彼に愛されているのだ、と。
そして思った、私もまた彼と同じだけの……否、それ以上の想いを伝えたい、と。
彼もきっと不安なのだ、もしかしたら私以上に。
――不安なのは私だけではないのだ……。
そう思ったら不思議にもほんの少しだけ……恐怖心が薄らいでいくような気がした。
「口づけ……してもいいかな?」
躊躇いがちに訊ねてくるのは、その口づけが合図になるからだ。
私が頷けば、リオウはもう己を止めようとはしないだろう。これは彼が私に決断を迫る、最後の選択肢なのだ。
だけど私の答えは初めから決まっている。
私は言葉では答えずに、そっと瞼を閉じた。
彼もまた言葉では何も語らず、私の頬を包みこんで唇を重ねてくる。
そして私の身体はそのままゆっくりと倒されていって……リオウが折り重なるようにして私に覆いかぶさってきた。
優しく触れるだけの口づけはすぐに深いものへと変わり、彼の熱い舌が私のそれに口腔深く絡んでいく。
口づけを続けながらその一方で、彼の手が私の背中を寝台から僅かに浮かせ、ドレスのホックを外していくけれど、口づけに翻弄されている私がそれに気づくことはない。
ふと肌寒さを感じ――あ……と気がついた時にはドレスはすでに腰まで降ろされて、上半身を露にされてしまった後だった。
反射的に彼を押しのけて胸を隠そうとしたけれど、その腕はいとも簡単にリオウに封じられてしまったばかりか、逆に両腕をシーツに優しく縫いとめられてしまう。
「隠さないで。誰も見ることのできない姫を、全部僕に見せて」
「……っ。でも、恥ずかしい……」
我ながら、消え入りそうな声だった。身体を固定されてしまった今、目を逸らすのが精一杯だった。
「君のことをもっと僕に知ってほしいと言ったのは姫だよ?」
いつもとは違う彼の視線が……私の細胞の奥までをも見尽くしてしまうかのようなその視線が私をおかしな気分にさせるから、私はそんな自分に戸惑うばかりだ。
「すごく綺麗だ」
低く艶のある声が吐息とともに耳に注ぎ込まれただけで、私の身体を甘い痺れが駆け抜ける。
リオウの唇が首筋を伝い、肩口、鎖骨、そして胸の膨らみへと向かっていき、そこここに唇を這わされ、強く吸い上げられるたびに、彼がもたらす熱とかすかな痛みが私の中に甘く浸透していくのだ。
リオウは私の胸を包み込み、揉みしだいたりその先端を弄んだりと刺激を与え続ける一方で、もう片方の胸を唇と舌で愛撫する。あっさりと硬くなった先端を啄ばんだり、吸い上げたり、軽く歯を立ててみたり。
私はと言えば、与えられる感覚にただ翻弄されて、抑えられない吐息を吐き続けるばかりだった。必死で声を押し殺そうとしても、その都度リオウに新たな刺激を与えられ、それを阻まれてしまう。
「あっ……ん……っ」
「我慢しないで。その可愛い声をもっと聴きたいんだ」
「んん……っ」
すでに私の頭の芯は甘く痺れ始めていて、私は切なげに身を捩ることしかできなかった。
リオウの手のひらが私の脚を擦るように撫であげながら、その唇は胸から徐々に下へ下へと向かっていく。私の肌を愛しむように、丁寧に。
リオウは愛撫を続けながら、掬うように私の腰を浮かせて、私の腰に引っかかったままのドレスをするりと抜き取る。続いて下着を引き下ろそうとして彼の指がそれにひっかけられた時、私ははっと我に返って両脚を閉じようとした。一糸纏わぬ姿を彼の目に曝すことも恥ずかしかったけれど、それ以上に、下着に隠された部分が今どうなっているかを知られるのがたまらなく恥ずかしかったのだ。
私の抵抗は、だけど一歩遅くて。
リオウは私の脚を滑らすようにして下着を抜き取ってしまう。
羞恥でどうにかなってしまいそうだった……そこはもう、おかしなほど熱く潤っていたのだ。
彼はそれをわざわざ確かめるかのように指でその表面を撫でて、呟く。
「こんなに感じてくれてるんだね」
「いやっ。そんなこと……言わないで……」
「恥ずかしがることはないよ。これは君が僕を欲しがってくれている証拠……。嬉しいよ」
「……あっ」
小さな悲鳴を上げてしまったのは、そこを優しく撫でていた指が花弁をかきわけ、奥まった場所に入ってきたからだ。
彼の指がゆっくりと進退を繰り返し、私の中を掻き回すたびに、私の奥からさらなる蜜が、そして私の口元からねだるような吐息が溢れ出る。自分がこんな声を出しているなんて……信じられない。
引き抜かれた指は今度は本数を増して再び私の中へと沈み、絶え間なく私に刺激を与え続ける。中で指を折り曲げられたり、内壁を撫でられたり……だけど実のところ私には、リオウに何をされているのかなどよく分かっていなかった。そんな判断力などとうに消えうせていたのだ。
リオウの指の動きにあわせて自然と私の腰がうねる。
激しすぎる快楽は苦痛と紙一重なのだと初めて知った。
今はリオウの指がくれる感覚以外、羞恥も恐怖も何も考えられない。
「一度いっておこうか……」
リオウの呟きと同時に指の動きを速められ、また別の指で花芯を刺激されて――。
「――ああっ!」
あっという間に高みまで押し上げられた感覚が頭の中で真っ白に弾けとび……一瞬にして私の身体から全ての力を奪っていった。
ぐったりとシーツに沈み込んだ私は、荒く息をしながらも甘い余韻に全身を包まれていた。全身がだらりと投げ出されていたのは分かっていたけれど、それをどうにかしようという気力もない。
少し落ち着きが戻ってきた時、身に纏うもの全てを取り去ったリオウが再び覆いかぶさってきて……素肌を素肌に押し付けられ、一際大きく心臓が跳ねた。
無駄のない、しなやかな筋肉。
この重み。
普段とは違う熱を帯びた瞳。
「男」を感じさせる表情。
そして、私の脚の間に生々しく感じる、彼の熱い昂ぶり。
それらがあの夜の彼を否が応でも思い出させて、蕩けきっていたはずの身体が少しだけ強張った。
リオウがそれに気づかないはずがなかった。
「……怖くなった?」
責めるでも怒るでもなく……彼はただ少し寂しそうに微笑んで。
私もまた、責めるでも怒るでもなく、微笑んだ。おそらくは、彼と同じように少し寂しそうな笑みだったはずだ。
怖くないと言えば嘘になる。だけどそれ以上に彼を失うことのほうが怖い。だからここは絶対に譲るわけにはいかない。
「ここで怖いと言ったら、私を手離すの? だったら私は、たとえどんなに怖いと思っても、怖いなんて言ってあげないわ」
彼は目を瞠った。一瞬、呆気に取られた、と言ったほうが相応しいかもしれない。
しばらく押し黙った後、彼は小さく笑った。苦笑。尤も、それはとても穏やかであたたかい笑みだったけれど。
「言ったでしょう? いやじゃないと、それ以上に貴方のことを想っているからと。だから大丈夫だと」
「姫。君という人は……」
「私は貴方を愛しているのだと、そう言ったはずよ?」
どうかこの気持ちが伝わりますようにと願い、祈るような思いで浮かべた微笑みは、リオウの目に綺麗に映っただろうか。
彼は泣き出しそうな顔になって、私の身体を大切に抱きしめてくれた。
――僕も愛してるよ、と震える声で呟いて。
私もまた彼の首にぎゅっと抱きついて、その素肌のあたたかさに浸って目を閉じた。
もう、彼を怖いとは思わなかった。
もう二人とも、余計な言葉はなかった。
吐息に混じる微かな声と寝台が軋む音だけが、薄暗い部屋を満たしている。
嫌悪はどこにもなかった。
リオウがゆっくりと入ってきた瞬間に頬を伝った涙は苦痛や恐怖によるものではない……嬉しくて幸せだったのだ。
そしてその涙を唇で拭ってくれた彼にもそれが通じていたことが、何よりも嬉しかった。
あの時のリオウの微笑みは、この先もきっと忘れることはないだろう。
耳元で聴こえるリオウの荒い息遣いが嬉しかった。
私を呼ぶ彼の切ない声が私を誇らしい気持ちにさせた。
彼に求められているのだと、彼に愛されているのだと実感させてくれたから。
こういう時どう振舞っていいか分からない私は、ただ彼に揺さぶられるだけだったけれど、そんなつまらない女であるはずの私であっても彼は快感を得てくれているようだ。それが私を安心させ、そして私をさらに昂ぶらせていく。
こんな感覚は知らなかった。彼の質量に息苦しさすら感じているはずなのに、それでいて全てが解き放たれていくような……不思議な感覚。
突き上げられるたびに身体の深いところから甘い熱が湧き上がり、眩暈すら感じてしまいそうになる。
肌と肌が触れ合うこととはこんなにも幸福なことなのかと、私はまた泣きたい気持ちになった。
込み上げてくる愛しさのままにリオウの背中に爪を立てれば、彼が不意にその律動を速め、それまでよりも深い衝撃が走った。
「あっ……!?」
「姫……ごめん……っ」
切迫した声だった。
それがどういう意味なのかを考える間もなく、それまでいたわるような動きで私を貫いていた彼が、突然私の腰を強く引きせてくる。
そして。
リオウの鍛えられた肉体が鞭のようにしなり、何度も何度も私の身体に打ちかかってきた。
それまでとはまた違う、頭を突き抜けるような衝撃が走る。喉が反り、背がしなり、一瞬本気で息が止まってしまったほどだ。
怒りを叩きつけられているのだろうかと、一瞬本気で疑いそうになったほどの、その激しさ。
どんな時も平然として涼しげな彼からは想像がつかないほどの、この熱さ。
――こんなリオウを、私は知らない。
だけど熱すぎる息を吐き続け、苦痛を感じているのかと思えるほど切なげに眉を寄せ……一心に私に穿ち続ける彼を見ていたら、私までたまらない心地になって……私は彼に振り落とされないように、背にまわした指先に懸命に力を込めた。
私の声にならない悲鳴とリオウのくぐもった呻きが重なった時。
私の中を熱いものが満たしていき……私たちは抱き合ったまま、力なくシーツに深く沈み込んでいく……。
――高みに上り詰め、果てる瞬間、リオウが「姫」ではなく私の名を呼んだことが、私には何よりも嬉しかった。
■□■
空が白み始めた頃、ふとした拍子に目が覚めた。
視線を感じてぼんやりと顔を上げれば、至近距離に穏やかな微笑を浮かべてこちらを眺めているリオウを認める。
一瞬状況が飲み込めずに固まってしまったけれど、すぐに思い出した。そうだ、彼はあの後、惜しげもなく私に腕枕を提供し続けてくれていたのだ。
途端に頬が熱くなったのは、ほんの数時間前まで彼と睦みあった記憶と感触がまだ生々しく残っているせいなのか、それとも彼の視線に溢れんばかりの愛しさを見たと思ったせいなのか。
そして気づいた、彼の目が覚醒しきっていることに。
「……もしかして、眠ってないの?」
――私のせいで……腕がしびれて眠れなかったのだろうか。だとしたら申し訳ないことをしてしまった。
そんな考えが顔に出ていたのか、リオウがクスリと笑う。
「眠るのがもったいなかっただけだよ。あと、眠るのが怖かった、というのもあるかな」
「怖かったって……何が?」
「眠って、次に目覚めた時、隣に君がいなかったらどうしようって。これが夢だったらどうしようって思ったから」
リオウがあまりに複雑な笑みを見せたから、私は彼の素肌に頬を摺り寄せた。少し恥ずかしかったけれど、私の存在を彼に実感してもらいたかったのだ。
「夢じゃないわ、私はここに……貴方の腕の中にいる。これからは、いつだって」
「そうだね、君は僕の腕の中にいる。そしてこのぬくもりは本物だ」
リオウはフフッと笑って、私を腕に抱きしめたままシーツを肩口まで引きあげた。
「もう少し眠れるよ。僕が起こしてあげるから、ゆっくりお休み」
「リオウも眠らなきゃだめよ」
「君が眠ったら寝るよ」
「本当に?」
「うん、約束するから」
もともと疲れきっていた私は、彼にそれ以上の念押しをすることもできず、重くなる瞼に抗おうとはしなかった。
彼の腕の中がとても心地よくて、私はすぐにまどろみの世界へと戻っていく。
意識が完全に呑み込まれる前に、申し訳なさそうな彼の声を聴いたような気がした。
――今夜だけは、もう少し君の寝顔を見ていたいんだよ、と。
嵐の夜に……
(2006/04/31)
(2006/04/31)