Blood×Alice (Alice in Heart)


 脇腹をねっとりと舐めあげられて、甘く掠れた声を殺すことが出来なかった自分の頭を壁に打ち付けたい気分になった。これでは、面白そうに私を組み敷いている男をますます面白がらせるだけだというのに。

「なんだ、もう起きたのか」

 もう少し眠っていてもよかったんだぞ、と案の定にやにやと意地悪く笑う男を一億回でも殺してやりたい。
 そもそも眠った覚えなどない。私が意識を飛ばすたびに、こうやって、この手とこの唇がすぐにそれを引き戻しにかかってくれたくせに。

「……この状況で、どうやったら眠っていられるって言うのよ……」

 どの口が言うのだ。
 ぐったりと、げんなりと。
 気力体力ともに根こそぎ奪い尽され、指一本動かすのも億劫な今、相手を睨みつける元気すらなく、威圧感の欠片もない非難の言葉を投げかけるのが精一杯だった。
 ブラッドご愛用のマシンガンを乱射するがごとき勢いで罵ってやりたくても、言葉にならない声を今の今まで散々あげさせられたせいで、喋るたびに喉の奥が引き攣るように痛むのだ。もう、口を開きたくもない。
 それなのに――。

「ッ」

 私のそういう気持ちを知ってか知らずか(この男のことだからたぶん前者だろう)、ブラッドがさらに笑みを深くして私の耳朶に噛み付き、軽い痛みが走る。しつこく、だけど徐々に柔らかく耳朶に歯を立てられ続けて、痛みが甘い疼きに変わるのに時間はかからなかった。
 きゅっと唇を引き結んで零れそうになる吐息を必死にこらえようとすれば、ブラッドは私の耳朶から歯を外すことをせずに今度は私の内股のきわどいところをいやらしく撫で上げるのだから、彼の性質の悪さが知れようというものだ。

 ……まだ続けようというのか、この男は。

 うんざりすると同時に怪訝に思う。
 ブラッドがしつこいのなんていつものことだけれど、今日はまた格別だ。
 いつものようにブラッドの部屋に呼び出されて、いつものように暇つぶしに付き合わされてから、もう何度時間帯が変わったか分からない。そして、何度彼を受け入れさせられたかも。
 いつも通りなら、とっくにこのベッドから解放されているはずだった。
 常日頃から何を考えているか読めない、何をしでかすか分からない爆弾のような男だとは思っていたけれど、今しみじみとそれを実感する。本当に、ブラッドが今、何を考えているのかさっぱり分からない。
 普段あんなに不健康でただれた生活をしているくせに、どうしてこんなに体力が有り余っているのか。いつもいつも、今この時ですらけだるそうにしているくせに、この熱心さはなんなのだろう。
 ブラッドの体は熱くても、表情だけはあくまでも涼しげなのが、余計に癪に障る。
 比べて私は、自分がとんでもなく淫乱なように思えて歯噛みしたい心境に陥らされているというのに。
 そう、浴びるほどに愛撫を受け、何度も何度も体の奥を穿たれて、とっくに快楽の飽和状態を迎えているはずのこの体は、しかし新しい刺激を与えられればいとも容易くブラッドが望むとおりの反応を返してしまうのだ。忌々しい。
 ブラッドからすれば、私はさぞかし簡単な女なのだろう。
 私の体を、ブラッドがそんなふうにした………それも、ただの暇つぶしで、だ。
 それが悔しくてたまらない。

「ねえ……。もういい加減にして仕事でもしなさいよ」
「なんだ、もう体がもたないのか?」
「……ッ」

 ようやく私の耳朶を甘噛みするのを止めたブラッドは、今度は耳の中に直接息を吹き込むようにして囁く。その声音には揶揄するような響きの中に別のものが含まれていて、無神経な発言内容にもかかわらず私の背をふるりと震わせた。
 敏感に反応してしまったことが悔しいやら恥ずかしいやらで、せめて顔だけでもブラッドの視線から逃れようとすれば、ブラッドは私の頬を両手で包み込み、全身で覆いかぶさることで完全に私の体をシーツに縫い止めてしまう。
 仕草は優しげに見えてもがっちりと拘束しているところが、いかにも彼らしい。
 そして、はなから諦めの境地でブラッドに抵抗しない私を、いかにも私らしいと思う。

「なんだか拷問されているような気分なんだけど」
「拷問とは酷いことを言うな、お嬢さん。全部君のためにやっていることなのに」
「は?」

 「君のため」と恩着せがましく言われても、私は自分からブラッドを求めたことなど一度もなければこんなに熱心に励んでくれと頼んだ覚えもない(むしろ勘弁してほしい)。ブラッドの暇つぶしに付き合わされているのは私のほうだ。
 ブラッドがこんな調子で私を「お嬢さん」と呼ぶときは、そして彼がこんなふうににやにやと意味ありげに微笑んでいるときは、何かある。
 しかもそれは私にとってよからぬ企みである場合がほとんどだということを、それなりの長さになった付き合いの中で、私は嫌というほどに知っている。

「……私、あなたの機嫌を損ねるようなことをしたかしら」
「ほう。何か思い当たることでも? ……たとえば、男遊びとか」
「なっ……、ないない! そんなの、あるわけないでしょっ! 思い当たることが何もないから訊いているんじゃないの!」

 笑顔から一転、ブラッドの目がすうっと細められるのと同時に冷気を感じ、大慌てで否定した。ブラッドに頬を固定されていなければ、きっと私は全力で首を横に振り続けていたことだろう。
 咄嗟に叫んでしまったせいで軋んでいた喉が悲鳴を上げたが、ここで即座に完全否定しなければこの後もっと痛い目にあうことは間違いないのだから、この程度の痛みは我慢するしかない。
 一方的に変な言いがかりをつけた挙句、凄まないでほしい。私は今でも死に体に近い状態なのに、あんな威圧感を浴びせられたら確実に息の根が止まってしまう。

「私のためって、どういうことよ」
「君の不満解消のために、技術向上に励んでいるんだ」
「……はい?」

 目をしばたたかせる。今自分が置かれている状況を思えばブラッドの言う「技術」が何をさすのかは理解できるが、私は彼のしつこさ以外にはそっち方面で特に不満など抱いていないし、長い間の不満だった「ソファ」にしても、とっくに解消されている。

「努力しようにも、こればかりは相手がいなければどうしようもないからな」
「だからブラッド。私は意味が分からないと言っているの」
「だからアリス。私は君に喜んでもらえるよう、健気にも努力していると言っているんだ」

 ブラッドはそこで一旦言葉を切って、にっこりと微笑んだ。けだるそうな彼の顔を見慣れている者にとっては怖いとしか思えない笑顔で。

「……もう二度と『下手の横好き』などと言われないようにな」

 言葉を失った私に、誠実な男だろう? と、有り得ないほど爽やかな笑顔を見せるブラッドは悪魔のようにしか見えない。いや、死刑執行人と言うべきか。

 たしかに先日、ブラッドに対してそのようなことを言った覚えはある。だけどあれは、ちょっとした悪態だったはずだ。
 ブラッドはハートの国有数の権力者であり、マフィアのボスだ。さらに言えば、見た目どおりの年齢であれば、彼はれっきとした大人であるはず。
 その大物が、その大人が、たかが小娘の悪態を根にもって、こんなふうに仕返ししようなどと……さすがに粘着質なだけある、とでも言えばいいのだろうか。他に何と言っていいのか言葉が見当たらない。

「…………そ、そんなにムカついてたの?」
「いいや? ムカついてなどいないさ。向上心は大切だと思っただけだ」

 笑顔を浮かべていても、ブラッドの目は笑っていない。
 ぞわぞわと悪寒が走るこの体をどうしたらいいのだろう。

「君が気をやる瞬間の表情を見て少しは腕が上がったかと思ったんだが、こうしてまだ不満を言われるようでは私の努力が足りていないんだろうな」
「…………ブラッド」

 だから――と、ブラッドは私を無視して続ける。あくまでも優しい声音で、あくまでも優しい笑顔で。その裏にとんでもない本性を隠しながら。

「下手の横好きな私を哀れんで、これからもじっくりとつきあってくれるな、お嬢さん?」
「……………………」

 滅茶苦茶だ。
 こんな××××で××××な最低男は今すぐ死ねばいい。いや、今すぐ死ぬべきだ。
 思いつく限りの罵詈雑言を一つ残らず浴びせてやりたい。そのせいで喉が擦り切れて一生声が出なくなったとしても、今なら後悔しないと言い切れる。
 それなのに。
 実際に「今すぐ死んでこい」と口にしようとして実行できなかったのは、寸前で、当の口をブラッドの唇に塞がれてしまったからで。
 憎たらしいほどに涼しい顔からは想像もつかないほど熱い舌で口内を蹂躙されてしまっては、思考が千々に乱されて、もはや何も考えられなくなってしまう。
 このイカレた男のこと以外、何も――。

 私がこの甘い責め苦から解放されるのは、もう少し先のことになりそうだ。
 今だって死にそうなのに、その時の私はちゃんと生きていられるのだろうか。
 これまでにだってブラッドの腕の中で何度も殺されかけた。そしてこれからも、殺されそうになるのだろう………気まぐれな彼が私に飽きる、その時までは。
 
 …………やっぱりブラッドなんか死んでしまえばいい。

 だけどブラッドが死んでしまったら私の世界もそこで終わってしまうのだろう――唯一の存在だった母を喪って、世界が完結してしまった父のように。

 悔しい。
 そして腹立たしい。
 こんな面倒ごとに引きずり込んでくれたブラッドが。
 そして、そんなブラッドに抱かれるたびに死んでしまいそうなほどの眩暈を感じている私自身が。


 ブラッドも同じように、私を抱きながら死んでしまいそうなほどの眩暈を感じればいい。
 そうであれば私は――……
 たとえブラッドの腕の中で息絶えたとしても、悔いなどないだろう。






死にそうな恋

 お題配布元 : h a z y
(2007/05/05)





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