Blood×Alice (Alice in Heart)


 たとえ善人でなくても、たとえマフィアの屋敷にあっさり順応できてしまう図太さがあったとしても、自分は最低限の常識を持ち合わせている人間だと自負しているアリスは、非常識な人間の非常識な言動を嫌っている。
 しかもそれが自分の夫だとくれば、なおさらいやだ。
 しかし悲しいかな、アリスの夫は彼女が知る限り誰よりも非常識な男であり、それは動かし難い事実だ。
 アリスは諦めを多分に含んだ細い息を吐いてから、杖を胸の辺りまで掲げた夫の手にそっと手を重ねた。それは新婚夫婦特有の甘い抱擁の一端などではなく、「それ以上は止めておきなさいよ」という意味の制止だ。

「撃っちゃ駄目よ、ブラッド」

 夫婦の私室でマシンガンを乱射されてはたまらない。
 杖が光り出す前に先手を打って的確に釘を刺す。アリスにとっては不本意な事実であっても、それくらいのことができずして、この男の妻が務まるはずがない。
 杖が銃に変わった時点で即離婚だからね、とそこに絶対の言葉をかぶせてやれば、効果はさらに覿面だ。アリスの隣で無表情に「それ」を見下ろしていたブラッドの形の良い眉が、ぴくりとはねる。

「しかし目障りだ」
「あなた、前にエリオットに言ったこと憶えてる? くだらないものを撃つなんてもっとくだらないんじゃなかったの?」

 ブラッドの眉間がますますいやそうに、より深い皺を刻む様を冷めた目で眺めながら、アリスは心の内でまた小さく溜息を吐いた。
 アリスが初めて帽子屋屋敷の門をくぐったあの日、アリスへの誕生日プレゼントと言ってブラッドが差し出してきた箱への扱いを巡ってのやりとりを思い出す。
 あれから彼らに気に入られて帽子屋屋敷の居候となり、ブラッドに気まぐれに手を出されて彼の情婦となり、そしていまや彼の妻としてこの世界で生きていく羽目になったのだから、思えば遠くに来たものだ。

「と言うことは君も、くだらないものだと思っているんだろう?」
「今のは言葉の綾よ。それに、もしも、仮に、万が一くだらないものが入っていたとしても、善意の贈り物なんだからそれなりの感謝はすべきだわ」
「自分に贈られたものをどうしようと私の勝手だと思うが」
「あら残念ね、これは私への贈り物でもあるわ。というより、この場合、あなたはおまけ扱いでしょうよ」

 今二人の目の前に置かれている未開封の箱は、たった今届けられたばかりの結婚祝いの品だった。
 送り主はアリスの友人でブラッドの対立組織のトップでもあるゴーランド。あて先は一応アリスとブラッドの夫婦連名となっているが、アリスの名前が先に来ているあたり(しかも、ブラッドの名前が綴られた文字だけが小さくて雑だとくれば)、ゴーランドがどちらを祝おうとしているかは誰の目にも明らかだ。

「……君は、私が贈った物には見向きもしないくせに、他の男から贈られたものはすんなり受け取るんだな」
「なにげに論点がずれてるわよ、ブラッド。それに、これは縁起物でしょう。小物っぽく見えるから、いちいち目くじら立てないほうがいいわよ」

 くだらないことで言い争っていても埒が明かないと判断したアリスは、チッと舌打ちしたブラッドを完全に無視して、綺麗に包装された箱のリボンと包み紙を丁寧に解いていく。
 ブラッドは威圧的な空気を発しているものの、アリスの刺した釘が効いているのか彼女の妨害はせず、憮然として腕組みしながらアリスの作業を見守っている。

 やがてあらわになったその贈り物に、アリスの一切の動きが止まる。
 固まったアリスの横で、ふむ、と呟いたブラッドがぱしんと杖を手のひらで叩いた瞬間に、彼女の止まっていた時が再び動き出すのだった。

「……ねえ、ブラッド」
「なにかな、奥さん」

 自分は今、遠くを見つめるような目をしているはずだとアリスは思った。そしてその想像が間違ってはいないだろうことを確信している。
 ゴーランドのセンスについては、あの風体が何よりも如実にそれを物語っており、今更語るまでもない。だからアリスも、ゴーランドの気持ちには素直に感謝しているものの、その内容物のセンスについてははなから期待していなかったというのが本音だった。
 しかし、これは……。

「私、今、ものすごーくいやな予感がするの」
「奇遇だな、私もだよ」

 箱の中から現れたのは、遊園地のアトラクションであるメリーゴーランドを赤ん坊の大きさ程度に縮小した、スケールモデルのようなもの。一見ただの趣味の悪い置物のように見えるそれは、ぜんまい式のネジがついていることからすぐにオルゴールだと知れる。
 オルゴール。小曲を自動的に演奏する装置を小箱などに組み込んだもの。つまり、「音楽」が流れ出すもの、だ。このネジを回せば音楽が流れ始め、それにあわせてメリーゴーランドの馬たちも動き出す仕掛けなのだろう。
 「音楽」という言葉を聞いて真っ先に連想してしまうものは一つしかない。特定の楽器でも有名な楽曲でもなく――自分が最高の音楽家であると信じ込んでいる、無精髭を生やしたおっさんの姿だ。
 そのおっさんが送ってきたオルゴール。
 これがいやな予感で済めばいいが、予感で済まされないことはアリスにもブラッドにも分かっていた。ネジの横に、「親愛なる友に愛の賛歌を捧ぐ」という、ゴーランド直筆の世にもイカれたメッセージが刻まれているのを見つけた瞬間にアリスの全身を駆け抜けた震えは、感動の衝撃でも感謝の念でもない。

「ネジを巻いてしまったら一巻の終わりのような気がするわ」
「さすがは私の妻だな、アリス。実に賢明だ」

 褒められているのに脱力してしまうのは、しれっとしているブラッドの態度のせいではなくゴーランドのせいなのだろう。
 このオルゴールに仕込まれているのは、たしかにゴーランドにとっては愛をテーマにした曲なのかも知れないが、彼以外の人間にとっては死を呼ぶ悪魔の旋律でしかない。
 愛の賛歌ではなく鎮魂歌と言われたほうがまだ納得できただろう。

(もしかして、ブラッドと結婚した私を敵認定して、ブラッドともども葬ってやろうってことなのかしら)

 違うと分かりきっているのに邪推せずにいられない。それほどまでに、ゴーランドの善意はアリスにとっては限りなく悪意に近いものだったのだ。
 黙り込んでしまったアリスに、なあ、というブラッドの声がかかる。

「撃ってもいいかな、奥さん」
「…………もうちょっとだけ考えさせて」

 プロポーズのときでさえ、意思の疎通が全くといっていいほどはかれなかった二人なのに、今はどうだ。以心伝心。言葉にせずとも互いの心を分かり合える。
 互いの心をこれほどまでに理解しあえたのは、ブラッドと出逢って以来、これが初めてのことかもしれないとアリスはぼんやりと思う。
 しかし、これは善意の贈り物で、それを無碍にするのは非常識な人間のすることであり、自分は(周囲の人間、特にブラッドと比べて)常識人だというプライドがアリスの決断を鈍らせる。
 ここでブラッドが贈り物を撃つことを容認してしまえば、それすなわち非常識なブラッドと自分が同類ということになる。
 できればそれは避けたい。
 ああ、だけど。
 でもでも。

 優柔不断で思い切りが悪いアリスの苦悩と葛藤が続く一方で、即断即決で堪え性というものがないブラッドの杖がゆらりと流れるような動きを見せる。
 アリスが決断を下すのが早いか、それともブラッドの杖がマシンガンへと変わるのが早いか――。
 それは神のみぞ知る。







Happy wedding,Alice!

〜ゴーランド編〜
(2007/06/05)





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